第19回KODAIRA祭実行委員長 社会学部2年 堂本 強介

「今日は、採れた山菜を天ぷらにして食べます」
山菜の天ぷら。素敵な響きである。
今回の植樹会において、私は「山菜採り」という使命を与えられた。些か大げさな表現だろうか。否、その響きに惹起されていた私には、強ち”使命”で間違いはなかった。キャンパス内の山菜を採り、天ぷらにして、食べる。非常に明快で、魅力的な企画だ。私は意気込み、勢いよくキャンパスへと飛び出した。

植樹会の御指導の下、はさみを用いて山菜をひとつひとつ採っていく。といっても、草木に疎い私には”山菜を採る”というよりも”採ることでそれを山菜と認識する”といった形だったが。 磯野研究館前に始まり、途中雨宿りも挟みつつ、野球場裏、そこから陸上競技場裏と周っていき、職員集会所へと戻ってきた。採れたものを数えると、カラスノエンドウ、イロハモミジ、ミツバアケビ、フキ、ハルジオン、シイタケ。合計6種類である。ここまで採れるとは。すっかり悦に入って集会所に戻ると、採れた山菜が机いっぱいに並べられていた。しめて30種。私が採ったものなどほんの一部だったのだ。さながら植物図鑑だ、と驚嘆するばかりであった。

懇親会では、当然真っ先に天ぷらからなくなっていった。私も流れに乗り、まずはいくつかに手を付けた。どれも思いの外苦みはなく、塩で食べても天つゆで食べてもとてもおいしい。そうして「なるほど、この山菜はこういう味なのか」「この山菜はこんな形なのか」とあれこれ感じているうちに、ひとつ考えた。
食べることも、自然と触れ合う有効な手段の一つなのだ、と。哀しい哉、私達若者にとってはそれが一番有効のようだ。だが、それで理解ができるのなら、どんどん食べていこう。ただ植生を眺めるだけでは気づけない事もあって、食べてみて初めて真に”味わえる”自然もあるはずだ。
虫が良すぎるだろうか。
だがそれが、少しばかり食い意地の張った私にとっての、一つの結論である。

と同時に、こうした見ず知らずの山菜を最初に食べた先人の、一歩目を踏み出す勇気に月並みな憧憬を覚えた。その「踏み出す勇気」は現代に生きる私にも必要なようで、全く知らない山菜にはなかなか箸が伸びない。これではいけない。途中からよもぎにばかり手を付けている。
踏み出す勇気、踏み出す勇気…。と箸を伸ばす。うーむ…たしか、この山菜は評判が悪いと言われていたような…
と、行儀悪く迷い箸を返し、よもぎを食べる。
うむ。やはり美味しい。

以上