飯塚義規さん(昭50経)

絶滅危惧II類に指定されているホソバシャクナゲの保護育成と林業の施業との共存を見学した奥遠州、浜松市瀧山瀬尻での春の研修に続き、今年二回目となる研修を福嶋先生のご指導の下に実施した。場所は福島県南会津郡只見町で、この山間の多雪地では秋も盛りを過ぎ、雪国独特の時折時雨れる天候下の行動となった。

只見町は尾瀬沼に源を発する只見川が町域を流れ、又新潟県に境を接する日本有数の豪雪地帯である。それ故にブナの天然林の象徴される手つかずの自然や森林が残り、またアバランチ・シュートと呼ばれる繰り返し発生する雪崩により削り取られた岩肌が露出する急峻な斜面と 痩せ尾根の稜線の雪食地形を見る事が出来る。福嶋先生のご説明では、このような地形では、植生は乏しく、斜面にはミヤマナラやマルバマンサクなどの柔軟な矮小木が生育し、ヒメコマツ等の高木は雪崩の影響を受けない尾根筋の最上部を選んで生育するとの事であった。

私達は まず昭和三十五年に上流の奥只見ダムと共に電源開発会社により完成した田子倉ダムを訪ねた。西の黒部ダムと同様に戦後経済成長期の電力需要増加に応え、我が国の高度経済成長に大きく貢献した。ともに豪雪地帯を背景に、豊富な水資源とそれを涵養する充実した森林資源が存在し、ダム建設に適した渓谷地形があればこその話であった。

田子倉ダムの後は只見町ブナセンターを訪れた。同センターは 只見地方の豊かな自然環境や森林生態系を守り将来へ継承していく事と同時に、その様な自然環境や森林との共存、共生によって培われた人々の伝統的な生活や民族、文化を調査・研究し将来に伝えて行く事を役割としている。そこには只見地方の自然生態系を説明する為のブナを中心とした植物の解説や、ツキノワグマ クマタカ等の哺乳類や鳥類の剥製、人々の生活の歴史を紹介する木樵、漁労、狩猟用具といった様々な生活用具が陳列されていた。この地方の人々が自然や森林と共存し共に生きてきた姿を体系的に知る事ができ、まさに、縄文時代以来の日本人の生活の原点を そこに垣間見たよう気がした。

その後今回の学外研修で終始お世話になった新国さんの民宿「ふる里」に向かい、夕食では 普段では口に出来ない熊肉などの山の幸のご馳走に舌鼓を打ちながら、参加者一同福嶋先生を囲んでの団らんの一時を過ごした。

翌日は八時半過ぎに宿を出発し 田子倉ダムの下流の只見湖近く、石伏旧若宮八幡神社跡の境内の裏に立つクリの巨樹を見学した。幹周七.五メーター、樹高十八メーターの国内有数の巨木の一つである。クリは日本と朝鮮半島南部が原産のブナ科クリ属の落葉高木で、縄文時代にはその栽培が行われていたといわれ、日本人には馴染みの深い樹木である。近世、現代を通じて生きてきたこの長寿のクリの木は 只見川流域の変遷をどのようにみてきたのであろうか、思いと興味が尽きない。

クリの木の後は、ブンア林の見学の為に隣の金山町近くの「癒やしの森」に向かって移動した。散策道を見付けるのに手間取ったが、割合に平坦で歩くのに心地良い道を辿っての見学であった。

ブナ林は冷温帯落葉広葉樹林の極相を代表し、日本海側と太平洋側ではその特徴が異なる。只見地方のブナは日本海側のブナーチシマザサ群集に属し、葉は大きく、幹も白い。林床には冬の積雪に守られユキツバキが群生し、他にもヒメアオキ、エゾユズリハ等の常緑低木やチシマザサやヒマキザサが分布する。福嶋先生の話を聞き、参加者一同ブナについての関心を一層深める事と成った。ブナ林の見学後は、かっての分校跡を利用した「森林の分校ふざわ」に立ち寄り、この地方名産の山菜を主体とした料理やイワナの昆布巻きを昼食に頂戴した。

帰路 田子倉ダムの堤高一四五メートルの天端に立ち山深い田子倉湖を展望した。満々とミズを湛え,秋色を湖面に写す総貯水容量五億立米の湖は その全容を目で追うにはあまりにも大きすぎた。下流を見ると 只見湖が、その遙か向こうには南会津の名峰蒲生岳が微かにその印象的な姿を見せていた。

そのあとは秋色深まる国道252号線を小出に向かった。小出に着く頃には、進行方向左手にここ数日の冷え込みで雪化粧した越後三山が荒々しくも端正で美しい姿を見せていた。

こうして今回の学外研修は終了した。今回の研修はいつものように 植樹会の活動の充実と深化に資すると同時に、森林やそれと共存する山村に日本の原風景を訪ねる旅でもあった。そういう日本の原風景への理解は 植樹会の活動をまた異なる観点から支えて行くものになると期待したい。 了

ブナ

ブナ

巨木に魅せられ

巨木に魅せられ

一休み

一休み